この手の問題は複雑というか、より近しい人物でもなければ細かいクラス分けに付いていくことすら難しいのではないでしょうか。昔はホモとかオカマって言葉が普通だったけど、今はそれを言っていいんだろうかって思う時代ですし。
いずれにしても生まれてきた時の性別と心の性別が違う人がいるってことは、少しずつ周知されるようになってきたんだろうなとは思っています。ただ、僕を含めてそれが当たり前の光景になるまでにはまだまだ時間が必要なのかなぁと。
興味はあるけど大っぴらにそれを聞くこともできず、無知なゆえに差別に繋がったら嫌だという気持ちから、なるべくこの手の話題に近寄りたくないという人も少なくないでしょう。でもそれだと問題の解決には繋がりません。
というわけで今回は、体は男性・心は女性のアキラが女性として高校生活をスタートする物語「カノジョになりたい君と僕(全4巻完結済み)」を紹介します。
カノジョになりたい君と僕のあらすじ
幼馴染のアキラとともに高校入学の日を迎えた主人公・ヒメ。 体は男性・心は女性…セーラー服に身を包んだアキラはひとりクラスの中で浮いてしまう。 大切なアキラを支えようと決心したヒメがとった行動、それは「学ランを着る」ことだった…!
カノジョになりたい君と僕の見所をチェック!!
トランスジェンダーのアキラによる高校生活
本作は「男として生まれたけど中身は女」というアキラの高校生活を描いた作品です。その幼馴染であるヒメが主人公で、面白がってアキラのことをからかってくる奴らから守ってあげることの使命感に駆られているという…設定自体は割と既視感があるものとなっています。
ただ、これまでの作品で多かったのは「幼少期は身体が小さいこともあって男らしくなかった」みたいな男の子を守る幼馴染の女の子という縮図だったのが、本作では身体的な特徴が男性っていうだけで精神的な中身は女性というトランスジェンダー女性の物語です。
そしてそんなアキラのことを理解しようとしているヒメっていう設定ではあるものの、ヒメは恋愛感情を抱いているんじゃないかとか、そもそも過剰に守ろうとしたりっていうことが既にアキラの負担になってるんじゃないかっていう…内容自体は非常に複雑で、トランスジェンダーについての理解を深めるのには最適な一作と言えるでしょう。
からかわれたり好奇の視線に晒されてきた経験
幸か不幸か僕の周りにはトランスジェンダーの方はいなかった(いたとしても大っぴらにカミングアウトした例は知らない)ので、もし小学校のときにいたら僕自身もからかったりしてしまった可能性があると思いました。
まぁ僕が小学生の頃は普通に「男のくせに」みたいなセリフも許されていたし、ホモいじりのテレビ番組なんかもあったし…。今と全然違う時代であったことは間違いないんだけど、社会に出てからこういう人と接する機会でもないと置いてけぼりになるんですよね。
同調圧力が強いと言われている日本において、それこそ大人になった今思えば「男でもスカート履きたいなら履けばいいじゃん」って思うわけで、当たり前で括られてしまうことが本人にとって辛いことだったりするって思ったら、僕らもトランスジェンダーの存在については知っておくべきなんじゃないかと。
僕もなんだかんだ言いながら大人のおじさんがセーラー服を着ていたら好奇の目を向けてしまいそうな気もするんで、本作でしっかりと勉強したいと思った次第です。
高校生という多感な時期に「女の子」として生きていく決意
これとは全然違うんだけど、僕は幼少の頃に「男なんだから髪を短くしろ」って言われて育ったので、いつもスポーツ刈り強制だったんですよね。でも普段は髪を切りたくないからギリギリまで伸ばすんです。で、ヘルメットくらいになったらスポーツ刈り強制っていうことで、髪を切った翌日に学校に行くのがどれだけ嫌だったか…。
今思えば全然大したことはないんです。でも当時はマジで嫌だったわけで、でも当時のそれと比較しても「今まで隠してきた本当の自分の姿」で高校生活をスタートするっていうのは、かなりの勇気が必要なんじゃないかなぁ。
自分の中ではこうしたいっていう明確なビジョンがあったとしても、周りに説明することの面倒くささみたいなものと天秤にかけて、自分の感情を押し殺すことって少なくないと思うんです。それでも女子として高校生活を送ることを決断したアキラの勇気はすごい!
そりゃ周りは戸惑うだろうと思うけど、これがおかしくないっていうか普通の光景になればトランスジェンダーの方々にとって生きやすい世の中にはなるんじゃないかと。
カノジョになりたい君と僕 コミックス1巻を読んだ感想・レビュー
僕自身が勉強不足なこともあり、細かい言葉の違い(例えばトランスジェンダーと性同一性障害の違いなど)が理解できていなかったりもしますが、昔のような決めつけの価値観ではいけない世の中になってきていると思います。
とは言っても周りにそういう人がいないっていう人は少なくないだろうし、仮にいたとしてもあれこれ聞くのは失礼だっていうんで、かと言ってボロが出てもあれだからと言って腫れ物に触るような対応をしてしまうような気がしないでもないっていう。
絵の雰囲気が好きだったことと興味本位で読み始めた本作でしたが、いずれにしても自分にとって大切な人がそうであったときに、それを理解してあげられるくらいには意識を変えていかないといけないと思いました。学校の図書室に置いてもいいんじゃないかってくらいの漫画作品です。
あとがき
私が恋した「男の子」は「女の子」だったのだ。